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薩摩琵琶


『薩摩盲僧琵琶〜薩摩琵琶祖形の誕生まで』


808年 平安京が都であった頃、逢坂山(滋賀県大津市)に 九州出身の盲僧「満市坊」が「正法山妙音寺常楽院」を開きました。
盲僧の満市坊が 九州から遠く離れた逢坂山に現れた謂れは、788年入唐前の伝教大師(最澄)が 比叡山根本中堂を建立する際、 地鎮祭の法を行うために 九州から8人の盲僧を呼び寄せたと伝えられ、そのうちの一人が満市坊です。
  満市坊は常楽院を32年間住持し、晩年には「妙音十二楽」を制定、840年頃没したそうです。 

時は下って、1192年「征夷大将軍・源頼朝」が「島津忠久」を薩摩・大隈・日向の三州の守護職としたとき、 「正法山妙音寺常楽院」の第19代住持「宝山検行」は、祈祷僧として島津忠久に随従しました。
そして1196年、忠久は 薩摩に常楽院を建立し、五穀豊穣・地鎮祈祷・ときに敵情密偵などの役目を与え、 以後も島津藩では積極的に盲僧(薩摩盲僧)とその音楽を保護しました。 

16世紀後半 戦国時代に至り、15代藩主・島津貴久の父、「島津家中興の祖・島津忠良」は 武家の子弟の士気振興と 思想の健全などを図る目的で、「迷悟もどき」「武蔵野」「花の香」などの琵琶歌の詩を作り、常楽院31代・淵脇寿長院に命じて作曲させ、 これを領内に広めました。
寿長院は盲僧琵琶を改良し その新しい琵琶歌のための楽器を作った(古型は三弦六柱!?の琵琶を 現行の四弦四柱にしたという説もある)。
これが薩摩琵琶の音楽と楽器が 盲僧琵琶から進化する起源で、当時はまだ薩摩琵琶とは呼ばず 単に「琵琶歌」といったという。


『薩摩琵琶祖形〜薩摩琵琶』


安土桃山時代から江戸初頭にかけて「木崎原合戦」などの戦記を内容にするものが作られ、次第に剛健な語り物音楽となっていった。
初めは武家だけで行われていた「琵琶歌」であるが、江戸時代中頃になると 政情も安定して平和が続き、町民の生活が向上して 経済的に勢力を持つようになると、「琵琶歌」は娯楽として町民にも広まっていった。

こうして歌われるようになったものを「町風琵琶」と呼び、これに対して武士の家庭で行われる琵琶を「士風琵琶」と呼んだ。
町風琵琶は艶麗な技巧を喜び、士風琵琶は武士らしく質実剛健を貴んだ。

幕末に至り、大隈(鹿児島)の元武士で士風琵琶を学んだ「池田甚兵衛」は、町風琵琶も研究して双方の長所を合わせ一流を案出した。
この池田甚兵絵衛の琵琶が、所謂「薩摩琵琶」の始まりといわれている。


『薩摩琵琶』


池田甚兵衛の門弟の中で、特に優れていたのは 士族の「徳田善兵衛」と盲人の「妙寿」である。 徳田 善兵衛は豊艶優雅な曲調を得手とし、妙寿は雄渾豪壮な曲風を持った。

徳田善兵衛の門弟である「西幸吉」は、明治・大正の士風琵琶最高の名人と称せられ、西幸吉の門からは 宇川久信と大辻空山が出た。 同じく、徳田の門弟の吉永経和(錦翁)は 東京に出て琵琶を広め、その 流れを「帝国琵琶」と称し、多くの優秀な門人を生んだ。そのうちの一人である肥後錦獅の門弟で、後に 「錦心流」を開く「永田錦心」がいた。錦心流は、大正後期から昭和初期にかけて、全国的に最も勢力が あった。永田錦心の門下から榎本芝水、福沢輝水、大館州水、山口錦堂、松田静水、雨宮薫水、古田耕水 らが出た。 また、榎本芝水に師事し 錦心の指導も受けた「水藤錦穣」は、錦心の楽器改良の志を受け 継いで、新しく「錦琵琶」という五弦の琵琶を工夫して別派を開き、新琵琶楽を創造し活躍した。
そして近年では、錦琵琶と錦心流を学んだ「鶴田錦史」の「鶴派(鶴田流)」がある。鶴田錦史は、楽器の 改良や独特の奏法を考案するなど 琵琶演奏の可能性を追及し、更に「現代邦楽」において 琵琶と西洋 楽器との合奏という琵琶楽の新しい方向性にも取り組んだ。 伝統的な様式の琵琶歌から西洋音楽を基盤 とする現代邦楽まで幅広く活躍し、薩摩琵琶の新境地を開拓した。
 
池田甚兵衛の門人である妙寿の門下には、伴彦四郎、児玉天南、盲人伊牟礼寿長らがおり もっぱら古風 を守って九州で活躍していた。なかでも伴彦四郎は名手として推賞され、その高弟に木上武次郎、永井重輝があり、木上の門弟には吉村岳城が出て東京で活躍した。 また永井重輝の門下には伊集院鶴城がある。
児玉天南の門下から池田天舟が出て 肱岡武ニらとともに鹿児島で活躍し、池田の高弟である辻東舟は東 京にでて薩摩琵琶を広め、筑前琵琶も加えて「日本琵琶楽協会」を設立した。

今日では薩摩琵琶界は大きく分けて四派あり、永田錦心の系統を継ぐもの「錦心流」、錦心流以前の風を継 ぐ「正派」、水藤錦穣の流れの「錦琵琶」、そして鶴田錦史の「鶴田流」。 他にも独立した流れ ないし派 を名乗る者もいる。
 それぞれの流派の特長は「正派」は質実剛健であり、「錦心流」は正派と比較すると 歌う要素が多く華 麗であり、「錦琵琶」は歌の中に筑前琵琶や三味線音楽などの節回しを取り入れ 正派よりむしろ筑前琵琶 に近い。「鶴田流」は、基盤となった錦心流などの琵琶歌の形式を守りながら、薩摩琵琶の器楽面を発展さ せて 所謂琵琶歌以外の楽曲も演奏する。
楽器は、正派と錦心流は四弦四柱の琵琶を用いる。錦琵琶と鶴田流はともに五弦五柱であるが、作りは異 なる。 材質は流派を問わず、よく乾燥させた桑を最上とする(筑前琵琶においても桑は最上である)。
しかし、近年森林の減少なども影響して 桑自体が少なく、くわえて他の和楽器や木工品でも人気がある ため、良質な桑で作られた琵琶は 高価なこともあり入手が困難である。
薩摩琵琶で用いる特徴的な大きな撥は、黄楊で作られたものを最上とし、この撥で腹板を打つ独特の技法 が、薩摩琵琶特有の魅力的な音色を生み出す要素でもある。

薩摩琵琶の音源は、レコードで数多く作られていますが、他の琵琶同様に CD化はあまりされていない ようです。 薩摩琵琶については、これからも書き足す予定です。
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