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平家琵琶


平家琵琶は 主として「平家物語」を語る時に琵琶で、この音楽を「平曲」という。
平家琵琶が、現在の形態として成立した詳細は 不明であるが、平曲の謂れは 雅楽家の信濃前司行長と盲僧生仏と声明家の
茲鎮の合作で、琵琶自体は楽琵琶の構造、形状と同じだが、盲僧琵琶のように持ち運ぶ必要性から
胴が小さくなったようである。 平家琵琶は「当道」組織を作る事により 全国的に流行した。 当道は「総検校」のもとに総括され、
検校、勾当、座頭の三階級に大別され、 さらに 十六階七三刻に細分されるという上下関係のはっきりした組織であった。
彼らは 平家琵琶音楽を伝承しているという条件で、幕府から補助金や特権を受けていたが、江戸時代の後期には 琵琶から
新しく伝来してきた三味線に楽器を変え、新しい音楽を演奏する盲人が増えたため、秘曲を含めて 全段の伝承は失われてしまった。
当道の建前としては、平家琵琶音楽を伝承することが 条件とされていたため一部はかろうじて残ったのだが、明治政府に至り
当道の解体を政府によって命じられたため、平家琵琶は大きな打撃を受けた。 

平家琵琶は 将軍家光の頃以降 波多野、前田、豊田、亀田、豊川、麻岡、福住、鏡島、伊豆嶋らを、代々「江戸宗匠」と呼び
江戸の平曲界を代表した。 波多野孝一の伝承は京都に伝えられ「波多野流」といい、前田九一の伝承を「前田流」といい、
以後 平曲の流儀としては、この二流派が対立するようになったそうです。
明治時代以降急速に衰退し、現在流派を問わず 平家琵琶の伝承者は少なくなってしまいました。
積極的に活動されている平曲家の方もおられるので、関心のあるかたは調べてみてください。
昔はレコードでそれなりに音源が発表されていたようです、あまりCD化されてませんが 今でも探せば入手可能です。


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